合格体験記
41歳男性、子供3人、妻1人。校種小学校(1年目は1次試験のみ合格で、2年目で1次試験2次試験共に合格でした。)
私は、民間での勤務が長く、勤務後2年間で小学校教員資格を取得しました。以下、メセナ予備校で教員採用試験に合格するまでの勉強法を紹介いたします。
おすすめする勉強法は、メセナ予備校の小学校教員向けの対策講座はすべて受講することです。
受講できれば、まんべんなく力が付き、最終合格はかなり手堅いと思います。
また、早い時期にアドバイザーの先生に合格に向けての教育相談の予約を入れ、現在の不安や悩みなどを相談し解決しておくことで、不安なく勉強に打ち込めると思います。
あと、メセナ予備校で気軽に同志を作ることです。これは合格までの道のりの中、一人で頑張って勉強するよりは同志とともに学ぶことでモチベーションも保てますし、二次試験対策で模擬授業、面接をお互い見合ったりととても助かります(私は、一年目は同志を作れずに情報交換などで損をしました)。
1年の流れとしては、11月から2月までは週に3回(教職教養・一般教養、小学校A、論文)を受講します。もちろん、毎月の月例テストや、年に2,3回ある模擬試験を本番の緊張感をもって必ず受けることです。論文の添削も週1、2回は行ってください。月一回の無料模擬授業勉強会にも参加してください。
そして、3月頃から小学校B(重要講座!) 、小学校C、メセナスポーツクラブ(マット運動、水泳運動)、ピアノ・リコーダー講座が始まるので追加して受講していきます。
そして、一次試験後には、二次対策前期、後期講座も受講します。メセナ予備校では、小学校教員向けのすべての講座が受講できるようなスケジュールを組めるように講座が配列されています。
3月頃からは、ほとんど毎日の通学になり、受講することだけで大変だと思いますが、そこはまんべんなく力を付けるためだと歯を食いしばって乗り切ります。
小学校種の二次試験では、試験科目も多いので、どの科目もまんべんなく点数を獲得しなければいけません。たとえ全科目の合計点数が合格点に達していても一科目の点数が極端に低いとふるい落とされるようです。
私が一年目に不合格になった理由があります。それは、一次試験だけの勉強をしすぎて、並行して二次試験の勉強をまんべんなく(特に年間通して論文の添削と模擬授業の練習)せずに、二次試験対策講座から勉強を開始したからです。
それでは、まったく間に合いません。二次試験で配点の高い科目に面接、論文、模擬授業があります。面接は二次対策講座からでも間に合いましたが、論文は直ぐには書く力は付かないので、二年目には一年間を通して週に1,2回は添削をしてもらいました。
模擬授業も同じく、直ぐには表現力は付かないので、月に一回の無料模擬授業勉強会に参加して見て学んだり、一年間を通して毎週一回学校や自宅で実際に導入、展開、終末の授業を打っていました。
メセナ予備校には合格するためのすべての情報が詳細にまで蓄積されていますので、カリキュラムに沿って勉強すれば、合格までの最短距離を安心して進むことができると思います。
ぜひメセナ予備校で小学校教員向けのすべての対策講座を受講してまんべんなく力を付けて合格を勝ち取ってほしいです。
各科目の勉強法
【一次試験】
・教養試験(90点満点)の一般教養(配点30点)について、私は当初勉強はしていましたが、出題範囲があまりにも広く、全て網羅することは厳しいと気づき、講座を受講するだけで途中から一切自学の勉強はしませんでした。
その代わりに、教職教養(配点60点)をしっかり解けるようになろうと毎日メセナ予備校の問題集、月例テスト問題を何回も音読していました。すると自然に月例テストや模擬試験で解けるようになり得点アップにつながりました。
・専門科目(180点満点)については、学習指導要領を毎日一時間は音読していました。(配点60点と高いのでココは重要です!)。
算数は得意だったので講座の時間内だけ勉強していました。他の教科は、模擬試験の一、二か月前から採用試験過去問(メセナ予備校で配布されます)とメセナ予備校模擬試験の過去問を何度も解いて備えていました。もちろん本試験でも同じです。
【二次試験】
・面接は、二次対策講座からで大丈夫でした。
・論文は、一年を通して毎週一、二回は添削してもらっていました。(毎週の論文の講座で課題が出ます)。本試験には、二次対策講座でピックアップされた予想課題を4本丸暗記して臨みました。(豊かな心1本、学習指導2本、沖縄の教育施策1本)
・模擬授業は、無料で毎月一回模擬授業勉強会があるのでそれに参加して勉強していました。また、学校や自宅で実際に導入、展開、終末の授業を打っていました。
・マット運動、水泳運動は、3月頃からそれぞれ週に一回づつメセナスポーツクラブがあるので参加していました。
・ピアノ、リコーダーはまとめて週に一回音楽の先生にマンツーマンで教えてもらっていました。